ビル
小学校三年生か四年生の時、半紙に習字で「ビル」という字を書いた。
それはみんなではなく、私ひとりだけが書いた。
お昼休み、友達とグラウンドに遊びに出ようとしたところを、その頃担任だったF先生に呼び止められた。
「あなたの字が上手だから、体育館につながる一階通路の掲示板に貼る習字を今から書いてほしいの。」
その掲示板は全校生徒が通る共用部分にあり、主にお知らせなどの印刷物が貼られている。
そこに何故かは知らないけれど習字を貼ることになったらしい。
そして何故かは知らないけれど私が選ばれ、昼休みに自分の机で墨汁をすり習字セットを広げることになった。
ある意味大役をあたえられて名誉なことなのかもしれないけれど、私は嫌だった。
嫌なあまり先生から見た私の顔はきっと、お経を読む僧侶のように無の表情だったと思う。
書くこと自体は嫌いではない。
ただ昼休みに一人、習字セットを広げることで目立つのがとても嫌だった。
先生は私にだけ話かけたのでその内容を知る子はいない。
一緒に遊びに行こうとしていた友達も、もういない。
今頃グランウドでドッチボールを始めているだろう。
たいがい友達と遊ぶことに夢中になる昼休みに、いきなり習字セットを持ち出し墨汁をする私を見て、皆はきっと注目せずにはいられなかったと思う。
教室でひとり姿勢を正し筆を構えるわたしに、興味で話しかけてくる友達もいた。
けれども恥ずかしいのと集中出来なくなるのとで、お願いだからそっとしておいて欲しい、と内心思った。
みんなの視線だけでも重たく膝が折れそうなのに、突然あたえられた使命を全うし、とにかく休み時間中に書き上げなくてはと、〆切迫る漫画家のような切迫感だった。
選ばれたからには下手な字は書けない。
上手いと言われお願いされたのだから、上手くなくてはならない。
でも何でビル?
けれどもそんなことは関係ない。
とにかく私は書かなくてはならない。
始めは緊張していたものの、書き始めると一気に集中力が増し意識は筆先にだけ向けられた。
一枚目はそれぞれの文字のバランス、また二文字合わせた時のバランスがつかめず失敗。
でも画数も少なく四角形に近い文字だったので思いのほか難しくなかった。
そしてほどなくして四枚目か五枚目に納得のいく一枚を書き上げた。
我ながら良し、と満足した思いをしばらく反芻していた。
達成感とともに安堵している中、休み時間終わり頃に再びF先生が現れ、私の書いた「ビル」を回収していった。
翌日、一階の掲示板を友達と見に行った。
数枚のお知らせプリントとともに私の「ビル」は貼られていた。
体育館に繋がる廊下に艶やかな墨で書かれた「ビル」が違和感を放ち、浮き上がって見えた。
耐え難いみんなの視線を集めボールのように膨らむ緊張感を味わうことは嫌だったけれど、上手いと言われた自分の字をみんなに見てもらえるのは何だか誇らしく、自分だけが選ばれたことも本当は嬉しかった。
そして今でも思う。
何でビルなんだろう、と。